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最近、小学校の図工の教科書や授業・作品を見て、驚いたことがある。それは、「絵を描くこと」「写生」が非常に少なく、何かを作って「自由に表現」する課題が多数だということ。
自分が子どもの頃は、校庭で木や花を、あるいは近所の神社などに出かけて写生をする授業が多数あったけど、今は小学校の図工で絵をかかなくなっているのだろうか。
東京学芸大学附属竹早小学校・図工教諭の桐山卓也先生にお話を聞いた。
「確かに小学校の図工では、今、写生はあまりしません。でも、絵を描かなくなっているのではなく、『描かせる』『作らせる』のではなくなっているということです。技術を教え込むよりも、モノをつくる楽しさや絵の具を塗った気持ちよさ等を感じさせる、表現する環境をつくってあげることが重要になっているのだと思います」
なぜ図工の授業スタイルが変わってきているのか。
「絵の描き方などを教えてしまうと、子どもは自由に表現できなくなってしまいます。『これで合ってるのかな』『間違うと注意される』と不安感を抱いてしまう。どうしても大人の反応をみてしまうのです。『上手い・下手』の基準ができてしまうんですよ。絵を描くとき、かたちが狂ってもいいんです。例えば、子どもは人間の体を描くとき、肩が描けないものですが、それを教えてしまうと、足し算や引き算を習わないで、いきなり微分積分を教えてしまうのと同じになってしまうんです」
絵の描き方も、発達段階に応じて自然に変わっていくものだということだ。
同様に、「空の描き方」にも発達段階があると言う。
「子どもの絵は、空と地面が離れてしまうんですよね。空は上、地面は下という認識があって、間は白いままになってしまう。それを『白いところを塗りなさい』『間も空なんだから、塗りなさい』と教師が言ってしまうことが多いんですが、子どもにはピンとこない。感覚が大人と全く違うからです。大人はいろいろ教えたくなってしまいますが、地面と空の境も、5年生ぐらいになると自然に塗るようになっていくものです」
大人は「木は茶色と緑」「空は水色」と思い込んでしまうが、本当は何色で塗っても良いはずだ。
そういえば、幼児の絵を見ると、胴体がなく、顔から手足が出ていたりすることが多いが、それでも楽しく描いている幼児を大人は否定しない。
ところが、学校の授業だと「こうやって描くんだよ」と否定されてしまうこともある。すると、子どもが本当に描きたいものが何なのか、描きたくて描いているのかどうかわからなくなってしまうのだと言う。
「教師の役目は、教えることではなく、『ここキレイな色だね』『かたちが良いね』などと褒めること,認めてあげることが大切。子どもたちの創作意欲を引き出すことが重要だと思います」
そこで、桐山先生が多く採りいれているのは、「アート造形」というテーマだ。
アート造形では、絵を描いても良いし、粘土や木を使っても良い。何を作っても描いても良い。一人一人が「めあて」を決め、「頑張ったこと、発見・工夫」を考え、他の子にアドバイスをもらうのではなく「良いところを見つけてもらう」ということを、毎時間行っているそうだ。
「課題を与えられればやれるのに、自分が何をやりたいか気づけない子も多いんです。高学年になると、そうした傾向がどんどん強くなります。『やりたいことを見つける』ことは、将来、社会に出ていくときにも、自分が目指す大人になるためにも、一番大切なこと。材料集めをし、どうやって作るか考え、失敗したら、路線変更する。図工は実は社会の縮図だと思うんですよ。絵がうまくなるのが目的ではなく、『やりたいこと』を持ち、『自分が目指すもの』にいかに近づくかを考え、学ぶことが重要なんだと思います」
「何を描いても作っても良い」。そんな環境で育った子供たちは、「好きなもの」「やりたいこと」を見つけるのが上手で、生きる力が強いのかもしれない。
大人はついついテクニックやノウハウを教えたくなってしまうものだけど、それは子どもたちの自然な発達段階や「発見」を妨げてしまうのかも……と改めて痛感した。
以下ソース
http://news.livedoor.com/article/detail/8693690/
最低限度の基礎知識と技術を叩き込んだうえで
個性を発揮しろっつーの
なんの為に基礎と技術を学ぶかと言うのを先に実感させるのも悪い事じゃないと思う
絵描きにする為の教育じゃないし
逆だろ。
知識だの技術だのは個性を発揮するための道具でしかない。
個性を表現するのが芸術だ。
そのために知識や技術が必要になることはあるかも知れんが、
知識や技術が個性より優先されることは絶対にない。
>絵の描き方などを教えてしまうと、
>子どもは自由に表現できなくなってしまいます。
>『これで合ってるのかな』『間違うと注意される』と不安感を抱いてしまう。
>どうしても大人の反応をみてしまうのです。
>『上手い・下手』の基準ができてしまうんですよ。
なにこれ評価基準どうなってるの?
適当にやらせたものを適当に採点してんのか?
そもそも美術家や芸術家の為の教育じゃないだろ
小学校なんだから作る事に興味を持って貰う為、
あるいは実際に作る事は難しいという事を知って貰うためのものだ
芸術家の養成なんて中高学校からでいいんだよ
写生も技能の一つだろうが!?
もしもピアノが引けたなら音楽会とかで褒められるのに、
いっぽう写生が出来ても「子供らしくない」とか言って褒めないとしたら、
それは絵を描くことに対する差別だろうが。
そう
幼稚園の頃からプラモに夢中だった
その頃からクオリティは養われるもの
大きくなって急に「さぁやれ!」って言われても出来る訳ないw
三つ子の魂百まで
掛け算の九九と一緒で幼少の時から最低限の技術を教えるのは必要不可欠
それを怠るとやがて国が破綻する
表現の為の技巧をちゃんと教えろと
理科の授業で、いきなりスケッチをやらせても無理だから、
写生をさせる必要があるだろう。
根本的な問題は、教育学者は設計主義なんだよ。
たとえば共産主義者が共産主義の理論にもとづいて現実を無視した経済政策を考えるのと同じで、
教育学者は理論にもとづいてカリキュラムをいじろうとするんだよ。
現実に必要な主義は設計主義の逆だよ。
理論そのものを現実に合わせて検証して見なおしていかないと行けないんだよ。
だけどそれは、テーマを設けて描かせる課題をなくす理由にはならない。
国語の作文で考えれば分かるだろうさ。
ひとくちに文章って言っても物語文や説明文、叙述、報告書、感想文、・・・
ジャンルによって要求される能力は異なる。
たとえ感想文が大事だからって、説明文の授業をなくす理由にはならない。
図工で写生をやらないってことは、
もし作文にたとえれば、
説明文の練習をやらないとか、そういうのに相当するだろう。
あとトーンの貼り方削り方とかも。クールジャパンなんだし。
けっして思いつきで自由につくるんじゃなくて、
客先から要求された仕様を満たすように作るんだよ。
製造業なんて、もろに、そうだ。
ものづくりの意義を教える、っていうんだったら、
仕事には要求仕様があることも、
学校教育のどこかの段階で教えないとマズイでしょう。
絵画や音楽の生産だって同じ。
スポンサーからの要求にもとづいて創作をしている。
アニメ業界なんて、もろに、そうだ。
習字も大切だ。
体育も非常に重要だが、困ったことに小中学校の教諭は女性が多すぎて
これらに対応できていない。
女性の社会進出も良いが、全てにバランスを欠き教育を低下させている。
新しい技法を知ってそれを養分にして次の段階に行くんだから
逆に目に見えるものを描くのは、けっこうラクなんだよ。
なぜなら見たまんまを描けばいいから。
写生って、入門的で良いと思うんだけどなあ。
もしもピアノが弾けたなら