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隣の家に耳の不自由な男の子がいた
うちの娘と同じ年だったので自然に仲良くしてた
彼は手話ができたんだけどうちの娘の覚えるのが早いこと早いこと。
預かることも多いし(預けることも多かった)私も手話で「おはよ~」とか
「ばいば~い」ぐらいはできたんだけど
彼が成長するにしたがって「こんにちは」だけってわけいはいかず…
おやつ食べる?とか学校どう?とか込み入った内容のことを話すことも多くなり私の手話も上達
(隣の息子と自分の娘とお隣の彼母に教えてもらった)
政治の話や思春期の話もできるようになった。
あれからもう何十年もたって彼は福祉大学を出て先生してる。
私はパートしてるんだけど「手話ができます」が重宝がられてものすごく条件の良い
やりがいのある仕事がずっとできてる
芸は身を助けるなぁとか情けは人のためならず…とか思いめぐり合わせに感謝する今日この頃。
114 可愛い奥様 2012/07/18(水) 11:39:33.82 ID:OJULbn/l0
いい話だ。
手話といえばもう15年ぐらい前、色々辛い事があって潰れそうだった時
なんとなく気分転換に手話サークルに入って習っていた時があった。
当時のりPのドラマで流行った後で、あちこちでやってたし
公民館でやってるやつで、タダだし~、的な。
習う中で聾唖の人が教えてくれるんだけど、耳に障害がある人って
口話って言って口の動きで何を言ってるか聞き取るんだよね。
こっちが実に不純で適当で、チャラけた気持ちで来てるふざけた参加者なのに
ものすごいじっと真剣なまなざしを真っ直ぐに向けられて
なんかもう、自分と言う人間を見透かされてる気になって情けなかった。
この真剣な表情にちゃんと向かい合わなきゃと、グッと襟を締め直す気になった。
112タンみたいに真剣にやったわけじゃないんだけど、そういうのに触れて
色々学ばせて貰えたお陰で、今もちょこっとだけ理解できるし
何よりもそういう方たちの気持ちが分かるので、耳が不自由な方を見つけられるようになった。
今は携帯のメールが定着したからなくなったけど、公衆電話の前で
小さいボードを持ってキョロキョロしてる人に「電話ですか?私でよければ」と
声をかけて代わりに先方に用を伝えるとか。
ありがとうと言われお礼にともらった飴ちゃんが嬉しかったなぁw
そういう方に気づけるようになった自分になれたのが一番の収穫だ。
あんなドス黒くドロドロしたきっかけで始めたから、人に言えることじゃないんだけど。
仕事で難聴の人に説明しないといけないときが時々あるんだけど、
本当にすごいエネルギーを使う。
その人むけに大きな声を張り上げてるけど、周囲の人たちはウルサく思うし。
高校時代、吹奏楽部だったのだが、難聴の同級生との合奏がすごく大変で、
指導者の指示が聞こえないので、私に「いま何て言ったの?」ときいてきて
それをいちいち大声で説明してあげるのが苦痛だった。
社会人になって、会員になってたスポーツクラブで難聴の若い女性とコミュニケーションを
とってたときも、正直すごく疲れて、その人と会うのが苦痛だった・・・
いい人だったんだけど。
かえって手話のほうがスムーズに話が進むんだろうけど、途中で聴力が落ちた人には
難しいよね。
高校時代の同級生には勇気をだして「補聴器つけたら?」と言ったんだが
つけたら頭が痛くなるそうで無理だと言われた。
今は補聴器も進化しているので、そういうことはないのかもしれないね。
・星の金貨
・愛していると言ってくれ
・オレンジデイズ
何となく障害が美化されてる感はあるよね。
現実は本人も周囲も色々大変なことが多いと思う、
聴覚障害者に限ったことじゃないけど。
何の影響か、漠然と「白血病」に憧れてた私が言うのも何だけど。
百恵ちゃんの赤いシリーズに違いないわw
なんか共感できる
私は別に障害があるわけじゃないけど、「さっき言われたのどういう意味?」ってあれこれ
考えて暗くなっちゃう方だから、決して悪いことは書きたくない
難聴でネット情報に頼っている人も多いだろうし
最終的に学級内はギスギスして、聴覚障害を持つ子も健常児も
不幸なひどいことになったとかいう書き込みを見たのは。
健常者と障害者が共生できる社会は理想的だと思うけど、
現実はなかなか難しいよなぁと思う。
実際に障害者が健常者と同じことをしようと思えば、ある程度のフォローが必要な場合が多いじゃない
フォローしている側とされている側、どう考えたって「同じ」ではないんだよね
だから、障害者側も何かしらのできる範囲の努力をし、時には健常者と分ける、区別する
健常者も、自分が何を出来るのかを考える
差別と区別をはき違えている人多い感じがするんだけど、区別は必要なことだよ
区別があるからこそ、健常者から障害者へのフォローもできる
それが本当の意味での共存だと思うんだよね
以前の職場がシステム関係で営業等もなく完全内勤だった為
障害者雇用促進法(?)が出来てまもなく障害者の人が
かなりの数入社してきた。
ほとんどが聾唖の人。会社内設備等変更する必要がないから雇いやすい
らしいが、部に配属されたのは話せず聞こえない人だった(入社した中
で一番重度だった)。
美人だしとてもいい人だったんだが、彼女専属?の先輩ともめたらしく
その後一切先輩と関わりを持たないようになってしまった。
理由を聞くと泣き出しちゃったり・・・
そんなこともあって部署内女性陣の雰囲気が微妙になったなぁ。
こちらも手話講習受けたり勉強になったが、業務の傍らだし、細かいこと
まで理解するまでは至らなかったことを思い出した。
その後健常者の方と結婚して子供出来たって風の噂で聞いたけど
幸せだといいなぁ。
もう一人、中途失聴者の女性がいたんだけど、話を聞いたらトメとの確執が
ストレスでそうなったからあなたも気をつけなさいと言われたよ・・・
ほぼ毎日いるので、乗り慣れてらっしゃる。
たいていの人達は邪魔にならないようスッとどくとか、ドアに近い席を空けたりとか、
声をかけないけど問題なく乗車出来るようする人達が多い。
二週間に一回くらい彼女の手をひいたり声をかけて手助けする人がいる。
それはいいんだけどさ、そのたびに彼女は「ありがとうございます。助かります。」って
丁寧に言うんだよね。
イヤミじゃないし、手を引いた人も電車の中で話すことがないから、
「見えないと大変ですよね」とか言う。だから彼女はまたお礼を言う。
彼女は何度ありがとうと他人に頭を下げてきたんだろうと思ったら、
うまく言えないんだけどなんか凄い人だなーと思った。
車椅子の障害者の方が、周りに何かして貰ったら
「すみません」じゃなくて「ありがとう」と言うんだ、と言っていた。
確かにそうだよね。
日本人ってつい「すみません」って言いがちだけど、
すみません=ごめんなさい、じゃなくて、(手助けしてくれて)ありがとう、だよね。
それが、微妙に百恵ちゃん世代ではありませんのよお姉様w
>>128
私も何で読んだのか忘れたけど、全く違う意見を見たことがある。
手助けしてもらって当たり前(そのために駅員がいる、とか何とか)なのだから
すみませんやありがとうは言いませんキリッ みたいなの。
本人なりに思う所はあるんだろうけどね…
例えば「すみません」って一言でも、
ニュアンスで「ありがとう」って意味が通じたり、
こいつただ言ってるだけじゃね?って感じの事があったりする事だと思ってた。
私は出来るだけ、見知らぬ人に親切にされたら、
「すみません、ありがとうございました」とウゼー二重言葉で返すが。
家族、親せき、仕事とかで係る人は、
この人はどっちの言葉が好きなんだろうかって感じで使い分けたりしてる。
単語じゃなくてさ、気持ちが伝わるって事ってあるよね。
私海外の人との交流が無いから今ひとつ分からないんだけど。
ごく普通のやりとりのはずなのに、なかなか「どういたしまして」って
聞かないなとふと思った。
どういたしましてって言うのちょっと気恥ずかしいよね
中国に住んでた時、「ありがとう(謝謝)」と言ったらほぼ確実に「どういたしまして(不客気)」と返ってきてた
エレベーターで一緒になった人でも無愛想な店員さんでもどんな人でも
私も最初の頃はありがとうと言われてもパッとどういたしましてが出て来なくて
ニヤっと笑うしかしてなかったんだけどあれって現地の人から見たら感じ悪かったのかな~と後々思った
日本人ってあまりどういたしましてを言わないよね
いえいえ~とかで誤魔化す感じ
自分は中国しかしらないけど他の国もありがとうからどういたしましてがパッと出てくるのな
ハワイで「サンキュー」って言うとみんな「ユアウェルカム」と返してくれる。
ごく自然な感じで。見習いたいなーと思った。
「ありがとう」シリーズ 片手でできる! 1度に外せる! 【いちどにありがとう16】 グリーン ICA003-001-16G
でも、考えさせられる。